【移住コラム】サンフランシスコの刺激を求めて “異国の地”だった福岡にIターン移住(久保田啓介さんインタビュー:前編)
今回は福岡の街に魅力を感じてIターンで移住してきた方を紹介します。久保田啓介さん。子ども向けにロボット工学の教育プログラムを提供するROBBO JAPANで2022年6月まで共同代表を務めていました。現在は宇宙に関心を持っていて、ロボット×子どもを掛けあわせた教育プログラムを作ろうと奮闘中です。前編は、久保田さんが福岡に来るまでの経緯などを聞きました。
初めて来た刺激的な福岡に惹かれ、Iターンで移住
久保田さん:福岡に移住したのは2019年2月です。留学していたサンフランシスコから2018年に帰国し、いったん実家のある大阪に戻りました。アメリカではニューヨークとサンフランシスコに合計で3年滞在していて、ビジネスと語学のスクールに通っていました。帰国後はスタートアップの立ち上げの手伝いや、コワーキングスペースのサポートなどをしていました。いずれもオンラインでできる仕事だったので、働く場所は自由でした。
帰国から約半年後、仕事でフィリピンに行く機会があり、フィリピンから福岡に寄ることにしました。高校の先輩が福岡に住んでいて、「一度福岡に遊びにおいで」と以前から声をかけられていたんです。
大阪や東京に住んでいた頃は、福岡や九州という土地に対して異国的なイメージを抱いていました。同じ国なのにどこか遠い土地のイメージだったんです。でも、フィリピンに来て見ると、大阪からフィリピン、福岡とフィリピンの距離感がほぼ一緒だと感じたんです。僕の中で一気に福岡に対する距離感が近くなったので、福岡に一度行ってみることにしました。
福岡に来て最初の印象は「空港から街中、めっちゃ近いやん」でした。「空港まで車で迎えに来てくださいよ〜」と先輩にお願いしたら、「いや、迎えに行くほどの距離じゃないから」と言われたんですけど、実際に福岡空港から博多まで地下鉄で行ったら、あまりの近さに驚きました。
先輩はオランダのアムステルダムに7年ほど住んでいて海外志向がある方で、スタートアップ事情にも詳しかったので、「Fukuoka Growth Next」などいくつかの支援施設を案内してくれたんです。このとき、福岡という街に魅力を感じました。
サンフランシスコと同様、空港と市街地が近いことや、街全体がコンパクトなところがいいなと。福岡市にはスタートアップビザもあるので外国人と仕事もできそうだし、そうした人たちから刺激をもらうには福岡に住むのもいいなと思い、福岡に住むことにしました。
福岡に来た当初は、福岡のWeWorkで仲良くなったタイ人やベラルーシ人と仕事をしていました。その流れでROBBOのメンバーを紹介してもらい、一緒に事業を作っていくことになりました。
国連案内ツアーをきっかけに国際貢献に興味を持つ
そもそも、久保田さんはなぜアメリカに留学したのでしょうか。
久保田さん:キッカケは大学4年生の時です。大学の教授がニューヨークにある国連を案内するツアーに連れていってくれたんです。「国連=発展途上国を助ける・援助する」というイメージを持っていて、国際貢献に関わることができればいいなと思いました。そのためには英語ができないといけないと思い、独学で少しずつ英語の勉強をしていました。
大学で商学部を選んだのも将来のためでした。高校まで続けていた野球を大学でも続けようか悩んだのですが、一方で野球しかやってこなかったので自分は世間知らずなんじゃないかという悩みもあったんです。だから、ビジネスを学んでおけばなにかしら将来の役には立つだろうと思って選んだのが商学部です。
国際貢献に興味を持ったのですが、仕事自体はコンサルタントをやりたいと思っていたので、国連に行く前に内定をもらっていた東京のIT系コンサルティング会社に入りました。コンサルタントは様々な業界の決裁者や業務決定権を持つ人と話せるので、将来につながればいいなと思ったんです。
IT業界は希望して選んだわけでなく、たまたま内定を頂いた企業でした。僕は小学校から高校生まで野球漬けの毎日で、ITに触れる機会はさほどありませんでした。中学生の時、我が家にパソコンがやってきましたが、当時はパソコンに内蔵されているゲームばかりしていて、学生になってもITを勉強していませんでした。せっかくIT系の会社に内定を頂いたのだから、ITを仕事にして逃げ場のない環境で勉強するのが自分にとって最善だと思いました。
入社後はシステムエンジニアとして、大手自動車メーカーの研究所にある4000台ほどのパソコンの保守運用を担当していました。このときにコーディングなどを実務で学びつつ、休日などは英語を学ぶためにアイリッシュパブにいる外国人に英語で話しけるなどして英語の訓練を積んでいきました。
仕事をしながら、いつかは海外で仕事をしてみたいという視点は常に持っていました。そのためにはアメリカに行って語学を学ぶ必要があるなと思い、新卒で入った会社を3年で辞めて、ニューヨークの語学学校に留学しました。2012年のことでした。1年後にサンフランシスコのビジネススクールに通い、そこで1年学んだ後は現地で1年間仕事をしていました。
サンフランシスコのビジネススクールを選んだのは、数あるスクールの中でSOCIALアントレプレナーシップをコアで教えていたからです。授業にも関心がありましたが、この授業を学びに来る人とのつながりを求めてサンフランシスコを選んだのもあります。
僕のことを知っている人は、英語もITも10代の頃から勉強して極めているという印象を持っていますが、英語もITも本格的に学び始めたのは社会人になってからです。
高校生の時は消防士になりたいと思っていました。体力はあるし、なんとなく人を助ける仕事をしたいと思っていたのもあって、それなら消防士かな、と。大学に入って国際貢献の仕事に興味を持ったのも、「人を助ける」という軸があったからだと思います。
後編では、福岡に3年ほど住んでみての印象や、久保田さんの今後の展望などをうかがいます。
木村公洋(きむら・きみひろ)さん 移住コラム
【移住コラム】自分を知ってもらう行動力があれば、東京でも地方でも何とかなる
【移住コラム】飛行機移動が多い人は「博多〜西新」の間に住むといい
この記事へのコメントはありません。