思考する生活 Life of Thinking 第二十回目 音楽の天才、細野晴臣氏について

この連載も20回目を迎えた。
当初、テーマは設けません、好きな事を書いてください。と言われたので記念すべき(?)20回記念として私が尊敬する音楽家・ミュージシャン細野晴臣氏について好き勝手に書いてみたいと思う。

今年は多くの有名ミュージシャンが鬼籍に入った。その中でも日本で最も高明なのは“世界のサカモト”と呼ばれていた坂本龍一であろう。

ご存じの方もいるかと思うが坂本龍一を一気に有名にしたのはYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)というバンドだ。
音楽にあまり関心のない人でも一度はこのバンドの名前を聞いたことがあろう。
YMOを結成し当時はほぼ世間的には無名の彼に声をかけたのが細野晴臣である。
当時の坂本龍一は音楽業界においては若手のスタジオミュージシャンとして活躍をしていた。ここで簡単にスタジオミュージシャンの説明をするとレコーディングの仕事を生業にする音楽家のことである。時は昭和、さまざまな芸能人やアイドルのレコーディングの現場で活躍していたのである。

いうならば縁の下の力持ち、黒子である。
当時の細野晴臣もスタジオミュージシャンとして活躍しながらも自身で数々のレコードを発表しており、音楽好きの間では有名であった。

音楽好きの間では有名であった、というと通好みという印象があるが何を隠そうこの細野晴臣は日本のJポップを作った人なのである。
今でこそ日本語で歌うのは当たり前であるが、そのルーツは彼が組んだバンド “はっぴいえんど”がはじめてロックやポップスのリズムに日本語を乗せたのだ。
つまりミスチルもサザンも星野源も細野晴臣がルーツなのである。

細野晴臣は音楽界におけるピカソである。

なぜ、ピカソなのか?
ピカソがピカソたる所以は常に変化していることにある。今もって世の多くの画家たちに彼のイノベーティブな絵の表現は大きく影響を与えているのだ。

細野晴臣の音楽スタイルの変容もピカソの絵のように変化の連続である。

1970年代のはじめに日本語のロックを創り出し、その数年後には南洋の民族音楽や沖縄民謡のリズムに日本語を乗せた音楽を創作した。
これを音楽業界界隈の人たちはトロピカルミュージックと呼んだ。
トロピカル3部作といわれているアルバム”トロピカルダンディ”、”台湾洋行”、“はらいそ”を矢継ぎ早に発表した。
発売された当時はその音楽の斬新さに皆が理解できずセールス的にはあまりうまくいかなかったのであったが、今やこのトロピカル3部作のレコードは高額な値段で取引されている。

そしてこのトロピカルミュージックの次に彼が興味をそそられたのはコンピューター音楽であった。
冒頭で述べたようにベーシストとしてスタジオミュージシャンとしても活躍していたので楽器演奏者としても日本のトップミュージシャンであった。

ここでスタジオミュージシャンのスゴさを簡単に説明する。
通常耳にする音楽の演奏の多くは一部のバンドを除いてスタジオミュージシャンが演奏している。
彼らスタジオミュージシャンはレコーディング当日にその場で譜面を渡されて、即レコーディングに入るパターンが非常に多いのだ。
つまり、ほぼ初見でかつ、1―2回の演奏で完璧に仕上げるのだ。
それを日々、多い時は1日で5―6件のレコーディングを捌くのだ。

細野晴臣も日々スタジオミュージシャンの仕事をする中である日、自分で演奏することの多くをコンピュータで演奏させることに興味が湧いたのだ。

この事をレコーディングの現場でも一緒に仕事をする親しいドラマーやキーボーディスト、ギタリストに話を持ちかけコンピュータが主役のバンドを作ろうと相談をしたところ、周りのミュージシャンたちは目が点になったそうなのだ。

もちろん、即答で一緒には出来ないと断られたのであった。
そこで当時、若手のミュージシャンであった坂本龍一と高橋幸宏(ともに故人)に声をかけてYMOを結成したのであった。

YMOのデビューアルバムが出来た時は、音楽業界の人たちさえも、戸惑うどころか“理解不能”といわれ、これ、どうしたら良いのかわからないよ、とレコード会社の社長さえも会社内で漏らしていたのである。

これはまさにピカソがキュビズムという名の抽象画を発表した時の反応と同じであったのだ。ちなみに当時ピカソは周りから「ピカソは死んだ、」といわれたそうだ。
音楽業界の人たちでさえこの調子であったので、いわんや一般のリスナーには全く支持を得られずに終わってしまったのである。

ところが提携先のアメリカのレコード会社の重役がこれは面白い、と目をつけてアメリカでツアーをしたのだ。日本で売れないのでアメリカで挑戦した訳である。
アメリカでそこそこの評判になり、逆輸入的に日本で大ブームが起こったのだ。
先見の目、というよりも楽器演奏が生業のミュージシャンが楽器演奏をしない音楽を始めてしまう。
まさに天才のなせる技である!

その後も彼はどんどん変容を繰り返し現在は古いアメリカのカントリーやジャズに根付いた音楽を創り、演奏している。そこは彼のことなのでジャズミュージシャンがスタンダードといわれる古い曲を演奏するのとは訳が違うのである。

自身がコンピュータで演奏させるために作った過去の曲を自身の手によって、しかも今から100年ほど前のテイストで再構築しているのだ。
今では彼をリスペクトするミュージシャンが世界中にいる。
世界的な人気を博する有名ミュージシャンたちが、なんと来日し細野詣でをしているのだ。

つい最近、ワンダイレクションというイギリスの有名なバンドのリーダーであり俳優のハリー・エドワード・スタイルズが新譜を出した。
タイトルは”ハリーズハウス”である。
このハリーズハウスのタイトルは細野晴臣が50年前の1973年に発表したホソノハウスに尊敬の意を込めてのものなのである。

ちなみにハリー・エドワード・スタイルズは今年29歳、まるで美大生がピカソの絵を見て感動しているのと同じではないか!

さぁ、皆さん細野晴臣の音楽を聴いてみよう。

増村岳史

アート・アンド・ロジック株式会社  代表取締役
増村 岳史 / Masumura Takeshi
大学卒業後、株式会社リクルート入社。マーケティング、営業を経て映画、音楽の製作および出版事業を経験。
リクルート退社後、音楽配信事業に携わったのち、テレビ局や出版社とのコンテンツ事業の共同開発に従事する。2015年アートと人々との間の垣根を越えるべく、誰もが驚異的に短期間で絵が描けるART&LOGIC(アートアンドロジック)を立ち上げ、現在に至る。著書に『ビジネスの限界はアートで超えろ! 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『東京藝大美術学部 究極の思考』(クロスメディア・パブリッシング)がある。

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