思考する生活 Life of Thinking 第二十三回目 もう1度、鎖国してみませんか?

最近、仕事でもプライベートでもカタカナ(外来語)をたびたび耳にすることが多い。
先日もとある定食屋で昼食を取っていたら隣に座った30代と思わしき男性2人組の会話に耳がダンボになった。
会話の8割以上がカタカナ英語であった。

以下、私の脳内に記録しているその抜粋
A氏「プロダクトのローンチなんだけどエンジニアが一人リタイアしてしまったので
ディレイしそうなんだよね」

B氏「そりゃ大変だ、うちのセクション、ウェルビーイングが全然浸透していなくて、ましてやLGBTへのインクリュージョンもなくてめっちゃ、イケてないんだよね」

A氏「サステナビリティ推進室に異動になったC君なんだけど、アサインが間違ってるんじゃないの?」

B氏「たしかに、、」

この会話、コメディ映画の場面のようである、、
以下、意訳。

A氏「製品の発売日なんだけど技術者が一人職場を離れてしまったので
遅れそうなんだよね」

B氏「そりゃ大変だ、うちの部署は、働くことによる幸せを享受できる状態が全く浸透していなくて、ましてやレズやゲイや性同一性障害の人たちへの尊厳もなくてめっちゃ、イケてないんだよね」

A氏「持続可能な世界を目指すための環境を整備する推進室に異動になったC君なんだけど、彼がこの部署に異動したこと自体、人選が間違ってるんじゃないの?」

どうであろう?
私の意訳のほうがよっぽど現実味があるのではなかろうか?
カタカナにすることによって日本語はとても曖昧な表現になる。

英語は曖昧な要素をできる限り排除したローコンテクストな言語であるのに、カタカナ英語になると抽象化され、あまり意味を持たない貧相な表現になってしまう。

この会話の中で出てきたウエルビーイングという言葉、意訳によると、“働くことによる幸せを享受できる状態”であるが、日本語で表現せずに英語のウエルビーイングと表すことによって、働いて幸せになる、、ということ自体が嘘っぱちであることを公言しているようなものと感じる私は天邪鬼すぎるのであろうか?

また、パワハラ、セクハラはもはやこれ自体が立派な日本語になっているが、性的嫌がらせや地位を利用した虐待、と日本語で表現するとよりその場の臨場感が否応なく想像できる。

私たちはカタカナ外来語を使うことで忖度し、曖昧な表現を使うことによって現実から逃れられるという遊戯をしているのではないか?

さて、閑話休題、日本が世界に誇れるユニークな文化(カルチャー)は全て江戸時代に生まれたものばかりである。
歌舞伎、浮世絵、大相撲、等々(文化ではないが居酒屋も、である)
これらは全て鎖国中に生まれたものばかりである。

世界の流行り廃りなど気にせずに江戸時代の人々が好き勝手にやった結果である。
もちろん、長崎の出島から貿易をとおして情報をキャッチアップしていたので多少は参考にしたものがあるかもしれないが、現代のように正体も実体もわからずにコピペなどはしていなかったはずである。

もちろん、オランダから輸入されたワインを葡萄酒と呼んだり、九州の熊本地方の方言である“しかし”を意味する“ばってん”は英語の“But Then”がルーツであるようにきちんと意味を理解して日本語化したものもあった。

今、皆さんが使っている身近なものを見てみよう、携帯電話、今やスマートフォン
(多くの人はスマホ)と呼ぶ人が多い。パソコン、スニーカー、ホームページ、、、カタカナばかりである。
そしてこれらのものはほぼ、外国製である。厳密に言えばアメリカのメーカーが中国生産したものがほとんどである。

いつの間にか身の周りのものからメイドイン・ジャパンが消えてしまっている。

至極、当たり前のことであるが鎖国中の江戸時代、全てのものはメイドイン・ジャパンであった。そして今もって続いているオリジネイター、歌舞伎、浮世絵、大相撲は江戸時代に産まれた(くどいようで恐縮である)

最近の日本が誇れる文化(カルチャー)はマンガ、アニメ、オタクである。

アニメもオタクもそのルーツはマンガにある。そしてマンガのルーツも江戸時代にある。
事実、葛飾北斎は自身の擬人画を北斎漫画と評していた。
日本でアニメーションがこれほどまでに発展したかの理由は実写を取るためのお金が無かったのでアニメーションにせざるおえなかったからである。

やむなくアニメを始めたところ、独自の進化を遂げたのである。
このマンガ、アニメ、オタクもいわば精神的な鎖国環境から始まったのだ。
ネタ元がどこにも無いので自ら創意工夫をする、というよりも前例が無いのでせざるおえない内にノウハウがどんどん自身に貯まり結果として非連続なイノベーションが生まれ、世界に2つとないオリジナリティーが生まれたのだ。

最近、アメリカ西海岸のシリコンバレーに起業を目指すチャレンジ精神溢れる人たちが視察に訪れるという。
それはそれで成功例を目の当たりにするのはやる気も起こり刺激ももらえるので大変良いことだと思う。
しかしながら、歌舞伎もマンガも大相撲も浮世絵も視察など一切せずに産まれたものであり、100年後も必ずしや世界を熱狂の渦に巻き込むであろうキラーコンテンツ(題目)であることに疑う余地はなかろう。

増村岳史

アート・アンド・ロジック株式会社  代表取締役
増村 岳史 / Masumura Takeshi
大学卒業後、株式会社リクルート入社。マーケティング、営業を経て映画、音楽の製作および出版事業を経験。
リクルート退社後、音楽配信事業に携わったのち、テレビ局や出版社とのコンテンツ事業の共同開発に従事する。2015年アートと人々との間の垣根を越えるべく、誰もが驚異的に短期間で絵が描けるART&LOGIC(アートアンドロジック)を立ち上げ、現在に至る。著書に『ビジネスの限界はアートで超えろ! 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『東京藝大美術学部 究極の思考』(クロスメディア・パブリッシング)がある。

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