思考する生活 Life of Thinking 第十七回目 戦争経験者のわたしの親族について
ロシアとウクライナの戦争が始まってから既に11ヶ月が過ぎた。この原稿を書いているのが2023年の1月下旬であるのでもうすぐ1年が経とうとしているのだ。
だれもがこんなにも長く続くとは思っていなかったのではなかろうか?
戦後生まれが人口の8割以上の現在の日本で戦争を経験している人は既にわずかばかりであろう。また戦争経験者から話を聞く機会も稀であろう、既に鬼籍に入ってしまった戦争経験者であった私の親族2人の対照的な話を紹介することとしたい。
父方の祖父は海軍の職業軍人でありしかも自身の仕事にプライドと誇りを持っていたので(幼心からそのように感じられたので)武勇伝の数々を聞かされたのだった。
勲章をもらった話や、自身が乗っていた船が撃沈され命からがら帰ってきた話、敵の大将の首をはねようとしたが懇願されて刀を抜かずに助け戦後も交流が続いていた話しなど、今思うとどれもが戦国武将のドラマや歴史小説を読んでいるようであった。
職業軍人であった祖父は海軍兵学校(今でいう防衛大学校)出のエリートではなく水兵からの叩き上げであったので常に前線に立っており修羅場の数々を経験していたと思う。
また、日本が敗戦する前日まで日本が勝利すると硬く信じていたそうだ。
私は小学生の頃に祖父から武勇伝の数々の話を聞いていたのであったが、それは嘘でしょう!と感じる話もいくつかあった。
最も記憶に残っているのは、日本は原爆を完成させたがこんな悪魔の兵器は正義感が許さず製造しなかったことだ。
それほどまでに信心深かったのだ。(よくも悪くもである)
一方で母方の叔父は学徒出陣で出兵を余儀なくされた。もともと文学部で学んでいた文学青年が陸軍軍人になってしまったのだ。
中国戦線に出兵し戦後は数年間のシベリアに抑留の後に帰国をしたのであった。
この叔父はほぼ一切、戦争の話をした事がなかった。
幼年期に父方の祖父から戦争中の話を幾たびとなく聞かされた影響から私は中学生のある時期、かなりの数の第二次大戦に関する戦史や戦記の本を読んだ。
その中で衝撃的な本と出会った。陸軍の731部隊に関する本である。この731部隊は石井部隊とも呼ばれており旧満州の地において(現在の中国現在の中国東北3省遼寧省、吉林省、黒竜江省および内蒙古、熱河省)細菌兵器を開発しロシア人や中国人の捕虜に人体実験を施していたのだ。敗戦時には全ての施設を壊し研究書類は全て焼却をしたのであった。
しかし石井部隊は戦後の東京裁判でも訴追されることが一切なかった。
これほどまでの非人道的なことをしながら訴追されなかった理由はアメリカがその研究成果を人的リソースも含めて全て引き継ぐことにあったからである。
この石井部隊には数多くの隊員がいた。その中でも幸運にも無事祖国に帰国できた者もいればソビエト兵に捕まりシベリアで抑留された者もいたのだ。
読後にこの石井部隊に関してもっと深く知りたいと思い、今は亡き母方の叔父がシベリア抑留されていたことを母親から聞いたことを思い出し、私は親戚が集まるとある会で叔父に聞いてみた。
「おじさんってシベリアに居たんだよね、石井部隊の人とかもいたの?」と聞いた。
その瞬間に周りの親戚中がこわばるのを肌で感じたのであった。
叔父は遠い目で私を見つめて「あぁ、隣の部屋にいたかなぁ、たしか、、」とポツリと答えたのであった。
さすがに中学生ともなると多少、空気を読むことができるようになるのか私はそれ以上を聞いてはいけないことを察し「ふううん」と曖昧に頷いただけであった。
私はそれから意識的に読んでもいないのに名前だけを知っている文豪(たしか森鴎外か芥川龍之介のどちらかだったような気がする)の名前を出して小説好きの叔父が話しやすそうな話題を出した。
叔父も私を察してか小説に関して饒舌多弁に話をしてくれた。
大変申し訳ないのであるがどんな何を話したのか?全く内容を全く覚えていない。
それは親戚中がこわばるあのなんとも言えない雰囲気のインパクトが大きすぎたからであろう。
親戚との会が終わり自宅に戻ると母親が目を丸くしてこう言った。
「今まで自らはおろか、誰に訊かれても一切戦争の話をしないのに今日、はじめて一言だけど戦争の話をしたのは本当にびっくりしたわ」
父方の祖父と母方の叔父、同じ戦場に出ていながらの二人の感慨のあまりにも大きな差に当時、私はびっくりしたのであった。
勝てば官軍、とはよく言ったものである。
戦いに勝利をした瞬間に美談となるのである。事実、日露戦争で勝利したことの美談の数々は今でもさまざまなメディアで語り継がれているし勝利に貢献した指揮官、乃木希典、東郷平八郎は神社が建立されている。
勝てば正義と崇められ、負ければ悪と誹りを受ける。この事実は疑いようがない。
今は鬼籍に入ってしまった親族二人とも第二次世界大戦に兵士として出兵した。一方は負け戦を経験しながらも生涯、軍人であったことを誇りにして生きていた。彼の軍人時代と終戦時の写真を見たことがあるが、まるで同じ人とは思えないような表情をしていた。
軍人時代の写真は全身エネルギーがみなぎっている意気揚々とした表情をしていた。
一方で終戦後の写真は魂が抜けたような生命力を全くもって感じられない表情であった。
軍人生活が人生そのものであったことが写真からも伺えた。
もう一方は墓跡に入るまでほぼいっさいその経験を口にすることはなかった。
おそらく口にも出したくない壮絶な経験の数々をしたのであろう。わたしがあった時はシベリア抑留後の帰国から何年もたったときであった。
物静かな彼は会うたびに必ず何らかしらの本を抱えており、本の話をすると顔中に笑みを浮かべておすすめの本を教えてくれた。
勝利をした戦も負けた戦も戦であることに何らの違いもない。
経験をした一人一人に好むと好まざるに関わらずそれぞれのストーリーがあるのだ。
しかし世の中にはいまだに多くの戦争メタファーが存在する。特にビジネスの世界はこれが多い、戦略、戦術、攻略、これは全て戦争用語である。
これは日本だけに限ったことではない。CEOはChief Executive Officerの略である。
Officerはそもそも士官、武官、将校など軍隊組織での役職者を表す呼称である。
地球上のヒトという動物はみな、戦いが好きなようである。
増村岳史
アート・アンド・ロジック株式会社 代表取締役
増村 岳史 / Masumura Takeshi
大学卒業後、株式会社リクルート入社。マーケティング、営業を経て映画、音楽の製作および出版事業を経験。
リクルート退社後、音楽配信事業に携わったのち、テレビ局や出版社とのコンテンツ事業の共同開発に従事する。2015年アートと人々との間の垣根を越えるべく、誰もが驚異的に短期間で絵が描けるART&LOGIC(アートアンドロジック)を立ち上げ、現在に至る。著書に『ビジネスの限界はアートで超えろ! 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『東京藝大美術学部 究極の思考』(クロスメディア・パブリッシング)がある。
この記事へのコメントはありません。