思考する生活 Life of Thinking 第七回目『“**もどき”に関するあれこれ』

もどき、と聞いて真っ先に思い浮かぶのはなんであろうか?
私はがんもどきである。
まだまだ寒い日が続いている。(この原稿を執筆しているのは3月である)
冬の定番と言えば”おでん”である。その中でもがんもどきは主役級の食べ物であろう。
さて、このがんもどき、漢字で書くと”雁擬き”である。
雁の肉を真似た食べ物である。
元々は精進料理で雁の肉の代用品として作られたものであり名前の由来は、雁の肉に味を似せて作ったものである。
このがんもどき、そもそもオリジナルの雁を食べた人はほとんどいないのではなかろうか?
それもそのはず、雁は現在日本では、急速な減少から保護鳥の対象となっており雁そのものを見ること自体が貴重な経験なのである。
がんもどきは、もどきの元ネタである雁の肉そのものを知っている人がほとんどいない珍妙な食べ物なのだ。

**もどきは私たちの身の回りにあふれている。
私の**もどきとの遭遇の話をしてみたいと思う。
今年の正月明けに仕事で遠方に行った帰り道に東京の下町エリアのとある駅に途中下車をした。
昭和の風情が残った商店街を抜けると情緒溢れる飲み屋街が現れた。50m先ぐらいに数多くの人が並んでいる大きな暖簾の串焼き屋が目に飛び込んできた。
いつも店名を検索してから事前リサーチをし、店に入るかどうかを決めるのだが、その日はあえて自身の勘を頼りに店に入ることに決めた。
列に並ぶこと約20分ぐらいで店に入った。
並ぶだけの事はある店であった。美味い、安い、早い、の3拍子が揃った名店であった。
立ち飲みの店なので長居は無用とばかりにサクッと40分ほどで店を出た。

ほろ酔い気分で調子が出てきた私は飲み屋街をリズムよく散策を続けた。次に目に飛び込んで来たのはジャズ喫茶の看板であった。1軒目が大当たりであったのでこの店も検索ご無用と、直感を頼りに店に飛び込んだ。入るなり大きなスピーカーから流れてくるジャズを全身で浴びた。
私はカウンターの奥の席に着いた。
メニューを開くととても良心的な価格であったのでここはちょっと奮発してシングルモルトウィスキーのロックを注文しジャズのリズムとともに飲み干しこちらの店も30分ほどで後にした。

そして散策を続けると、店というか一軒家の軒先にジョンレノンとピカソのポスターがデカデカと貼ってあるのに出くわした。
ポスターを見ていると、なかから大柄なロン毛の中年男性が出てきて「お客さん、ジョンレノンとピカソ、好きなの?今日は定休日なんだけど音楽とアートが好きな人だったら特別に店を開けるので、寄ってかない?」とややLGBT的なもの言いで話しかけてきた。
これは怪しいなぁ、と思いながらも私は酔いが待っているのと、2軒目までの自分の直感が大当たりであったことに気を良くして店に言われるがままに入っていった。
店には椅子とテーブルが一つずつしか無かった。
頼んでもいないのにウィスキーの水割りと豆菓子が出てきた。
水割りを一口、口に含むやいなや店主が自分のジョンレノンとビートルズに対しての深い知識を披露し始めた。
店にあるレコード数枚と写真集を何冊かを私に見せては蘊蓄(うんちく)をマシンガンのように話し続けた、、、
腕時計に目をやるとすでに入店してから30分が過ぎていた。
ここらでお暇しようと思った矢先に、今度はピカソの話が始まった。額に入ったピカソの原画、ではなくポスターを額縁に入れたものをゴソゴソと店の奥から持ち出してきてピカソの生涯の話がはじまった。
ビートルズの蘊蓄もピカソのそれも私は全て知っていたのだがあまりにも熱く語る店主が可哀想になり私はうそぶいて頷き続けた。
すでに90分近くが経ってしまったのでさすがに私の堪忍袋の緒が切れ「これから人と待ち合わせているので、帰ります」と言うと、待ってましたとばかりに店主はレシートを私に差し出した。

レシートの金額を見ると5桁を超えていたのであった、「はぁーーいい加減にしろよ!」と口に出しそうとした瞬間に、店主が「私の評論家人生で培った大切なお話し、安いでしょ」と舌なめずりするような声を聞いた途端に『この人は可哀想な人なのだ、評論家もどきにいっぱい食わされたのだ、騙されたわたしも私だ』と妙に冷静になり、支払いを速攻で済ませてこの街を後にした。
そして翌日にネットでリサーチをするとその店には“評論家もどきのぼったくりに注意”との数十軒のコメントが寄せられていたのであった。
私は雁もどきならぬ、評論家もどきに一杯食わされたのである。
それから幾ばくかして、知り合いのミュージシャン兼音楽プロデューサーと久方ぶりに会った。彼とは既に知り合ってから20年以上が経つ仲である。出会った頃はギタリストであったが、今や自身で音楽事務所を経営しアーティストのプロデュースやマネジメントも手掛け音楽業界でマルチに活躍しているスゴイ人になっているのだ。
売れるアーティストとは?の話題になった時にとても興味深い話を彼から聞いた。
ギタリストであれボーカリストであれ、演奏や歌が上手い人はゴマンといるが、上手いだけではプロとして大成はしないそうなのだ。では、大成する人としない人との大きな差は何かというと、自分の音を持っているかいないか、であるそうなのだ。つまりオリジナリティーがないとプロではやっていけないのだ。
言われてみると至極納得が出来る。
最近、you tubeを時間潰しに見ていたら”有名ギタリストの**のように弾いてみた!・有名ボーカリストの**とそっくりに歌ってみた“という動画を見た。
これほどまでに良くコピーできるなぁと関心した。

しかし、その人のライブやコンサートには行こうとは決して私は思わない。
それは**もどき、であるからだ。
オリジナルを知っていればいるほど、オリジナルを聞きたくなるのは誰しも当然思うところであろう。
今の世の中、デジタル社会である。
デジタル社会はどれが本物でどれが偽物であるかが本当にわかりずらい。
最たるものがフェイクニュースである。
AIで合成されたニセニュースキャスターやニセ著名人の動画を見ても一見ではほぼわからないであろう。いや、何回見てもニセモノだと気付かない人が実際は多いのかもしれない。
つまり、リアルの世界、バーチャルな世界双方で**もどきが大量に生産されているのだ。
評論家もどきの罠についついハマってしまった私がいうのもなんではあるが、本物を見極める審美眼を鍛えなければならないのだ。

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