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思考する生活 Life of Thinking 第四回目『流行りことばを使う人たち―わたしのエシカル&多様性体験』

時代時代で流行り言葉がある。
私たちはさまざまな流行り言葉の渦の中で生活をしているといっても過言ではなかろう。
特に最近はダイバーシティー、インクルージョン、LGBT、SDGs、パーパス、などなど
横文字が多く、ついていくのがやっとである。

その中でも、以下の2つの言葉に関して奇妙な体験をした。
一つはエシカル、そしてもう一つは多様性だ。
皆さんも耳にしたことがあるはずだ。

今回はこの2つについて述べたいと思う。

まずはエシカル編である。
近所に八百屋が新装開店をしていたのでふらっと入った。
最近の流行りなのか従来の八百屋と違って内装がオシャレなのである。
真っ先に目に入ったのが、特売と書かれた箱に無造作に入っている数々のリンゴであった。
1個80円と安いがどれも傷物で腐れかけているものもあった。

比較的綺麗なものはないかと漁っているとオーナーらしき女性が
「この箱の中のリンゴはお買い得品なので綺麗なものはないですよ」と話しかけてきた。
「あ、そうですか、、傷物なのでお買い得なんですよね、それは私も心得てますので」
と返答すると、その女性は「傷物ではありません、エシカルなリンゴです!」とやや口をとんがらせて言ってきた。私は彼女を怒らせてしまった。

私は「エシカル、という言葉をよく耳にするのですが、浅学なので意味を教えてください」と平身低頭で質問をすると、
捨てないで、ものを大切にすることです、、」と彼女は言った。
それから比較的綺麗なものを見繕って5個400円でりんごを買った。

そして家に帰り、リンゴを齧りながらエシカルの意味するところを詳しく調べてみた。
すると、答えは倫理的であった。
最近の事例としてファッションブランドが獣の保護のために毛皮のコートを作らないとか、発展途上国の人達を安い賃金で酷使しないとか、、つまり倫理に基づいて行動や企業経営をする、というのが2021年現時点での意味であった。

確かにものを大切にすることはとても倫理的に正しいことである。
それであれば、エシカルの意味さえわからない(倫理観の低い)私に優しく、
「傷物で賞味期限も近づいているのでお安くしています、捨てるのはもったいないですよね、そこのところを理解して買ってくださいね」と言ってくれれば、私の倫理観も少しは向上したであろう。

なにごとも行き過ぎた原理主義は怖いものである。

次は多様性編である。
“多様性”最近、よく耳にする言葉である。
SNS、ネットニュース、テレビ、ラジオ、あらゆるメディアから発せられ、また仕事の打ち合わせに至るまで、もはや「こんにちは、おはようございます、」と同じぐらいの頻度で耳にしているような気がする。
先ほど“多様性”をググったところ瞬時に(0.46秒で)1億600万もの検索結果が出来たのだ。
もう、私たちは多様性(という言葉)なしでは生きていけないのかもしれない。

さて、つい先日私は“なんでもかんでも多様性って言えば済むものではないよ”と声を大にして問題提起をしたい気になった事があった。

やや肌寒いある日に、パソコンの修理に関する相談のために東京の表参道に行った。
一昔前にパソコン関連の街といえば秋葉原であったが、今や生活用品となったパソコンは
あらゆる街にショップがある。
表参道は世界の名だたる高級ブランド(現在はハイ・ブランドと言う人の方が多い)の店舗が並ぶファッションタウンである。
私はその手のハイブランドには一切縁が無いのであるが、某ハイ・ブランドのビルの最上階がギャラリースペースとなっているので表参道を訪れた際には展示されている美術作品を見ることにしている。

今回展示されていたのは、2人のアートユニットの写真と絵画が融合されている作品であった。
作品のタイトルは階級闘争(日本語訳)であった。
内容は棍棒のようなものを持った労働者階級と思われる人々が写真と絵画を融合して大きなキャンバスに描かれているものであった。
見終わって帰ろうとすると、
出口で受付の人に感想を聞かれたのでわたしは正直な感想を述べた。

「ハイ・ブランドである御社が階級闘争というタイトルの作品を提示する意味がよく分かりませんでした。」
と答えると受付の女性は
「この作品は多様性を表しています」
と答えた。
私は、そりゃ違うだろうと思い、これまた正直に即、返答した。
「富裕層を顧客に持つ貴社がこのようなタイトルの作品を展示するのはそうでない階級の人を嘲笑しているとしか、わたしは感じませんでした。これは多様性とは逆の単なる選民思想のあらわれではありませんか?わたしはこの作品展示に不快感を感じざるを得ませんでした。」

すると受付の女性は「不愉快な気持ちにさせて、すみませんでした。」
と返してきたのだ。

私は決して謝ってなど欲しくなかったのだ、それよりもこのタイトルの作品を展示する意味、そして主催者がこの作品をなぜ多様性と捉えているのかを深く知りたい旨を(私なりに)誠心誠意伝えた。

しかしながら繰り返し謝罪をされ「しかとご意見として上に伝えておきます。」
このセリフで会話が終了した。

ここで私の問題提起である。
企業がギャラリーを所有し作品の展示をするということは、
そこで展示されているものがどんなものであれ企業のフィロソフィーや姿勢を表すものなのだ。
来場者に質問をされたら明確な展示意義を説明しなければ、逆ブランディング、つまり
ブランド価値が落ちていってしまうのだ。

作品が多様性を表しているという定義づけをしているのなら、作品のどこが多様性を表しているのかを説明すべきなのだ。これを説明できないのなら感想など聞いても企業価値を
落とすことはあれ、企業価値をあげることなどないのだ。

“多様性”を単なる流行り言葉として使うと痛い目に合うような気がする。

あなたにとっての多様性はなんですか?

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