思考する生活 Life of Thinking 第一回目
今年2021年の8月に『ライフ』をテーマにコラムの執筆を、というご依頼を頂いた。2020年1月から日本で最初の新型コロナウィルスの症例が発見されていらい、この原稿を執筆している9月某日現在に至るまで日本はおろか世界中がコロナ渦という有事にある。
当初は流行性の感冒(風邪)の一種なので“暖かくなったら治るであろう”というのが大方の意見であったような気がする。しかしながら現実は1年半以上経っても状況は変わらずのコロナ禍にありしかも現在、緊急事態宣言中にある。
この1年半の間にわたしたちの生活(ライフ)およびライフスタイルは望む望まないに関わらず劇的に変わってしまったのではなかろうか?
そう、出口の予想が立たない1年以上続く異常事態下の中でのお題『ライフ』である。
このテーマを頂いてから色々と私なりに考えてみた。
久々に机に向かってじっくりと真剣に考えてみたのだが生来、私は自分の人生と向き合った事などないことに改めて気づいてしまった。それゆえ人生の指針的な重厚長大な文章は書きようにも書けないのである。
かと言って、カタカナの『ライフ』の意味するところに大きく舵を切り、オシャレ系に振ってライフ(生活)を豊かにするおすすめ音楽とおしゃれカフェの紹介なども考えてみた。
私自身、音楽の知識はあるがおしゃれ音楽のストックはそこまでないし、ましてや不要不急の外出を控えなければいけない中、カフェ特集ではモラール的にまずい、、
(正直、連載に耐えうるほどのカフェも知らない)
さて、どうしようどうしよう、と思いながらベッドに入った途端にある日、徒然草の前文が頭をよぎった。
つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
【現代語訳】 流れにまかせて、硯に向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみると、日常の中よりさまざまな事が見出され、面白いものである。
この徒然草はまさに今でいうコラムである、しかも時は鎌倉時代である。
話はやや横道に外れてしまうが、私は鎌倉というところがあまり肌に合わない。実家が所謂湘南エリア(地元民はこの表現はとても恥ずかしい)の藤沢にある私は幾度となく鎌倉に行ったことがあるが、鎌倉が醸し出す土地の”気”にめっぽう弱いのである。具体的なところを述べるに鎌倉に行くと3回に1回ぐらい頭痛がしたり微熱が出てしまうのである。
この話を学生時代の友人に話したところ、彼曰く、鎌倉時代の戦いは武士たちを生き埋めにして窒息死させるなど、かなりエグい戦いが繰りかえされたそうなのだ。その武士たちの霊が数百年を経ても成仏出来ずに鎌倉の至るところに生息している、それ故に私のように鎌倉の気に当たってしまう人がいるとの事であった。
そういう彼も鎌倉は苦手らしい、ちなみに彼は旧宮家の出自であるので私はこの話に妙に納得をしてしまった。
話を元に戻そう。
この徒然草は700年以上前のコラムである。
吉田兼好がどのようなことを書いたのかと、前文しか知らない(というか、遥か彼方の高校生の時に古文の先生からこの前文を強制的に覚えさせられただけなのだが)のも如何と思い徒然草をきちんと読んでみた。
その中で興味深い一文があった。
「友とするに悪き者、七つあり」と題してこう書いている。
友とするに悪き者、七つあり
一つには、高く、やんごとなき人、二つには、若き人、三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人、五つには、たけく、勇める兵、六つには、虚言する人、七つには、欲深き人
そして、次に「よき友、三つあり」とも書いている。
一つには、物くるゝ友、二つには医師、三つには、知恵ある友
以下現代語訳である。
友達にはなりたくない人たちと是非とも友達になりたい人たち。
友達になりたくないのは以下の人たち、
まずは偉い人、次に(話が通じなく経験がない)若い人たち、そして、病気など一切しない身体が強い人、酒乱な人、強引な人、嘘をつく人、欲深い人
逆に友達にしたい3人の人たち
気前のいい人、そしてお医者さん、頭が良くて知恵を授けてくれる人、
700年も前のエッセイなので現代にフィットしない箇所もあるかも知れないがおおよその感覚は今とほとんど変わらないのではないか?
友達にしたい人が、医者と気前のいい人、などとはあまりにも現実的で打算的であるし
嘘つきな人と仲良くなりたい人などほぼいないはずだ。
実はこの文章をとおして兼好は以下の真意を伝えたかったのではないか?
世の中を生きているといろんな人と出会う、気の合う人もいるし、合わない人もいる。しかしながら人生とはさまざまな人と巡り合うもので、そうそう自分にとって都合のいい人ばかりなどはいないはずだ。
人付き合いとは、付かず離れずにお互いの距離をある程度保ちながらの関係が良いのではないか、そして私自身も自分が友達にしたくないようなタイプの人にならないように行動や発言には気をつけたいものである。
皆さんは700年以上も前に書かれたこの友達にしたくない人、友達にしたい人の一文を読んでどう感じたであろうか?
この徒然草を通して殺伐とした鎌倉時代の武家政権のなか、兼好は当時の世界を独自の視点から客観的に捉え、当時の人たちに「僕はこう思うんだけど、あなたはどう思います?」と問いかけていたのではないか。
全244段(244話)からなるコラムには上記で紹介した以外にも明らかにこれは読む人に問いを立ててくるなぁ、兼好さんは、と思われる文章がいくつもある。
例えば“恋を知らないと人はダメになる”と言ったかと思えば”人は結局色欲に惑わされてしまう”とか、
“やりたいことを決めたらその事に全力を注ぎましょう”と言ったかと思えば“決心して即実行するのは難しい”というように矛盾めいた文章が続くことが多く、これが徒然草の大きな特徴でもある。
実は、これこそが徒然草の真骨頂であり“つれづれなるままに日暮らし”などと呑気な表現ではじまりながらも実は深い問いを投げかけているのだ。
2021年現在、世界はいまだに殺伐としている。
令和時代はまさにコロナ感染症との戦国時代であるのだ。
こんな時代だからこそ、さまざまな物事を独自の視点で観察し、自身に問いかけることこそが、これからの人生を過ごす上で大切なことなのではなかろうか。
次回以降は日常の風景やこと、もの、を切り取って、ライフに関して書いてゆきたいと思う。
増村岳史
アート・アンド・ロジック株式会社 代表取締役
増村 岳史 / Masumura Takeshi
大学卒業後、株式会社リクルート入社。マーケティング、営業を経て映画、音楽の製作および出版事業を経験。
リクルート退社後、音楽配信事業に携わったのち、テレビ局や出版社とのコンテンツ事業の共同開発に従事する。2015年アートと人々との間の垣根を越えるべく、誰もが驚異的に短期間で絵が描けるART&LOGIC(アートアンドロジック)を立ち上げ、現在に至る。著書に『ビジネスの限界はアートで超えろ! 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『東京藝大美術学部 究極の思考』(クロスメディア・パブリッシング)がある。
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