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思考する生活 Life of Thinking 第十三回目 サウナブームの影でおじさんの居場所がない、、、!?

この連載もはや2年目に突入をした。毎月、毎月そうそう想うところなどあるのだろうか?と思って始めたのだが、このような執筆の機会を頂くと私なりに色々と考えるものなのだなぁ、と日々思うのである。

さて、今回は今話題のサウナブームについて語っていこうと思う。
そもそものブームのルーツは2011年に漫画家のタナカカツキがサウナにはまってゆく過程を、エッセイとイラストを交えて描く書籍「サ道」が発端である。その後、マンガ雑誌『モーニング』(講談社)にてフィクション作品『マンガ サ道〜マンガで読むサウナ道〜』が2014年42号に読み切り掲載され、2015年7号より断続的に連載され2019年にテレビドラマ化された事で爆発的なサウナブームが始まり、現在に至っている。
なおサウナに行くことを「サ活」といい、サウナに良く行く人々のことを「サウナー」と呼ぶのだそうである。

かくいう私もこのサウナブームに乗っかり、最近は頻繁に行くようになった。
なにを隠そう、この場ではじめて告白をする訳であるが私はサウナ歴20年のベテランなのだ。
私がサウナにハマるきっかけとなったのはオジサン上司のお供から、である。お供、というと聞こえはいいがもっと具体的に表現するなら強制的にサウナに連れて行かれたのである。当時バブルはとうに過ぎたのであるが、今に比べれば景気はそこそこ良かった(と、記憶している)世に言う営業部門の中間管理職は夜な夜な接待を取引先にしていたのだ。

接待のスタート時間は大概が夜の7時ぐらいからである。それまでの時間つぶしに上司に付き合わされて行ったのが私の初サウナ体験であった。
そのサウナは、東京の茅場町にあった。現在は再開発が進んで綺麗なビルが立ち並ぶ街であるが、当時の茅場町は雑居ビルが混沌と並ぶ鄙びたビジネス街であった。

この鄙びたビジネス街に立つこれまた鄙びたビルの中にサウナはあった。愛想が決して良いとは言えない受付のおばちゃんに靴箱の鍵を渡すとそれと引き換えにロッカーキーを渡された。今でもそのロッカーは脳裏に焼き付いているのだがなかなかロッカーの扉が開かない壊れかけたものであった。
ロッカーの中に寝巻きのようなサウナウェア(?)が用意されていた。当時、営業マンであったわたしはスーツからサウナウェアに着替えて上司の後をついていそいそと浴場に向かった。

はじめて入ったサウナ室、入った途端に猛烈な熱さが私に向かってきた。壁にある温度計を見ると90度もあるではないか!私は上司に言われるままに3段あるサウナ室の2段目に腰掛けたのだった。サウナ室にいる人々は皆、腕を組んで室内に設置されているテレビを無言でじっと見つめている。
入っておそらく1分も経たないうちに頭の先から足の爪先まで焼けるような熱さに見舞われこの場を出たくなったのだが上司の視線が「まだ出るな!」と語りかけてきたので我慢すること10分ぐらいであろうか?熱さでヘトヘトになり気が遠くなりそうなところで、上司からのアイコンタクトでサウナ室を出たのだった。

サウナ室を出た横に水風呂があり、上司がそこに、ズボーーン!と飛び込むように入っていった。私もそれに倣い、水風呂に飛び込むと今度は全身が氷の矢で打たれるような冷たさというか痛さに包まれた。即、出ようとするとまた上司が「まだ出るな!」目線を送ってきたので冷たい痛さをグッとこらえた。上司からのOKサインが出て、私は水風呂を出た、すると上司はまたサウナ室に入った。私は金魚のフンのように彼について行った。

2回目のサウナ室ははじめてよりも快適であった。そしてその後、水風呂、これを3回ほど繰り返して湯船につかり浴室を出たのであった。その時に今まで味わったことのないような爽快感が全身を駆け巡ったのだった。
その後、サウナウェアに着替えて休憩室に入った。上司は既にベテランサウナーであったのだろう。休憩室に入るなり店員に生中(生ビールの中サイズ)2つ、とキムチと枝豆を頼んだ。

注文をしてから1分も経たないうちに生中が運ばれて来た、上司と乾杯しビールを喉に流し込む瞬間に今までにない快感に全身が包まれた。これが、サウナの快感か!と心の中で私は大きく叫んだのであった。
上司はそれから1時間ほどして接待に出かけなければならずサウナを後にした。私は上司の許し(?)を得てサウナにその後も滞在をし、3回ほどサウナ室、水風呂を繰り返した。かれこれ3時間ほど滞在したであろうか?
この経験がルーツとなって私はサウナにハマって行ったのであった。時間を見つけては新たなサウナの新規開拓をした。また休日のほぼ1日をサウナで過ごすこともあったのだ。

これはサウナブームが来る10年以上も前の出来事である。今流行りのサウナハットを被っている人など一人もいなかった。整う(ととのう)という言葉など、誰も知らない時代である。

私は当時、30代の半ばであった。その頃、サウナに集まる面々の平均年齢はおそらく50代の半ばから後半であったように思う。
また中には70歳以上と思われる大御所的な方も見受けられた。オールバックをポマードで固めるヘアスタイルの方々も決して少なくはなかった。
そもそもが平日の昼間にサウナに来て何時間も休憩出来る層は、前線でバリバリと働いている層よりも江戸時代の大久保彦左衛門のように天下のご意見番としてほぼリタイアし、顧問的なスタイルで仕事をしている人であろう。

私がサウナーとしてデビューをした頃のサウナはおじさん達の天国であり、おじさん倶楽部であったのだ。わたし自身も内心「こんな若造がサウナに来てしまっていまして大変、恐縮です。しかしながら若輩者としてサウナに魅了された身ですのでどうぞ、何卒宜しくお願いいたします」との思いで人生の大先輩方に混じってサウナライフを送っていたのだ。

ところが、である。
昨今のサウナにはほとんどおじさんがいないのである。
世の中は高齢化社会へまっしぐらなのにも関わらず、である。

私は思うにおじさんたちが、このサウナブームにヒヨってしまいサウナに行きたくても
なかなか行けない心理的状況にあるのではないだろうか?
昨今、おじさんたちは肩身の狭い思いをしている、やれリストラだ、やれパワハラだ、、と。

しかし、おじさん達が頑張ってくれたからこそ今があるのだ。

サウナこそはおじさんが育ててくれた日本独自のリラクゼーション空間なのだ。
サウナで整えるのもおじさん達がいるお陰なのだ。
今のサウナーたちも何年か後にはおじさんの仲間入りをするのだ。

日本には敬老の日はあるがおじさんの日はない、おじさんをもっとリスペクトすべきなのだ。

しかしながら、平日昼間に20代後半と思われる人たちがサウナにゴロゴロいる国に未来はあるのだろうか??と思ってしまうわたしも立派なおじさんなのだ。

増村岳史

アート・アンド・ロジック株式会社  代表取締役
増村 岳史 / Masumura Takeshi
大学卒業後、株式会社リクルート入社。マーケティング、営業を経て映画、音楽の製作および出版事業を経験。
リクルート退社後、音楽配信事業に携わったのち、テレビ局や出版社とのコンテンツ事業の共同開発に従事する。2015年アートと人々との間の垣根を越えるべく、誰もが驚異的に短期間で絵が描けるART&LOGIC(アートアンドロジック)を立ち上げ、現在に至る。著書に『ビジネスの限界はアートで超えろ! 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『東京藝大美術学部 究極の思考』(クロスメディア・パブリッシング)がある。

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